富山県富山市にある富山市篁牛人記念美術館は、富山県富山市が1979年(昭和54年)に文化集落としてオープンした富山市民俗民芸村にある日本画の専門美術館です。富山市篁牛人記念美術館が開館したのは1989年(平成元年)のことです。篁牛人は異色の画家と言われていますが、具体的にはいったいどのような画家なのでしょうか?
篁牛人(たかむらぎゅうじん)の小伝
ここで、篁牛人の生涯を振り返ってみましょう。牛人は、1901年(明治34年)に現在の富山市石坂に生まれました。
20歳の年に富山県立高岡工芸学校を卒業し、卒業後は図案の作成や小学校の教員を務めていました。
高岡工芸学校の卒業生で組織される「富山工芸会」に参加しました。
商工省の主催する工芸展覧会で図案を描いた工芸作品を出品して受賞を重ねました。
30代前半で画家ピカソの影響を受けて画家志望に転じ、30代の後半には藤田嗣治のマチエールの美しさに魅了され、39歳の頃には絵画に専念するようになりました。
その前年には、民芸の木工を制作していた安川慶一が柳宗悦、棟方志功の民芸運動を教示しました。
戦後、薄い麻紙に渇筆画を描くことを始めました。一時期、生活苦のために制作材料を購入することができなくなり、渇筆画の製作を断念してました。
制作中断の時期に富山市の呉羽町安養坊(現在の美術館のある場所)に移るのですが、同時期から10年間、富山県内、岐阜県内を放浪するようになります。
スポンサーリンク
60代に入った頃、パトロンとなる森田和夫(近隣の医師)と知り合いました。
以降、越前の麻紙に大型の渇筆画を多く描くようになりました。
60代半ばには美術評論家の河北倫明の激励を受け、創作意欲を高めました。
74歳の時に脳梗塞で倒れ以後制作に困難をきたすようになりましたが、東京と京都の展覧会で渇筆画の異才が高い評価を得るようになりました。
1982年に画業を回顧する大展覧会が富山県立近代美術館で開かれ、その翌年に篁牛人は没しました。享年82歳。
1985年(昭和60年)、パトロンでありコレクターであった森田和夫は自身が収集した牛人の作品252点を富山市に寄贈しました。
4年後の1989年、富山市篁牛人記念美術館がオープンしました。
篁牛人の作品を紹介します
篁牛人の画境は同時の世界観に基づいています。
どういう世界観かというと、日本や中国の故事や伝説を作品の主題として、禅的な精神性を日本画の画面の中に展開しています。
また、篁牛人は卓越した技術を駆使して日本画を描きます。多くの場合には渇筆画法という筆法を用います。
これは、にじみをほとんど用いずに墨を紙にすりこむようにして描く技法です。
篁牛人が描く線は弾力に富んでいて、細く、美しく、それでいて豪放でした。
著作権の関係で画像をアップできませんが、篁牛人記念美術館所蔵の主要作品を紹介してみますね!
- 竹林虎…1967年(昭和42年)篁牛人の渇筆画は、墨を紙ににじませずに、筆を紙にすりつけるようにして描かれます。
- 蛟龍…1967年(昭和42年)「蛟龍」は、中国古代の想像上の動物を指します。別名を「みづち」といい、龍の一種です。
- 山姥と金時… 1947年(昭和22年) 金時は愛らしく、荒々しい山姥の対照的な愛らしい姿が鋭い線描写で巧みに描かれています。初期作品の傑作と言われています。
- 仙翁移居…1948年(昭和23年)描かれている人物は、中国の唐時代の詩人である李白です。
- がま仙人…1948年(昭和23年)がま仙人とはがまを用いる妖術使いである仙人です。中国三国時代や中国五代の伝説の人物がモデルになっています。
- 寒山拾得 …1947年(昭和22年) 昭和22(1947)作 寒山と拾得は、唐時代の天台山国清寺の禅僧です。
- 老子出関 …1967年(昭和42年)老子出関のモチーフは、老子が函谷関という関所を越えるという故事に由来します。
民俗民芸村とは
呉羽丘陵は富山平野を南北に貫いていますが、多くの緑に恵まれています。
多くの史跡がこの丘陵に分布しています。
富山市民俗民芸村は呉羽丘陵の安養坊という場所に学習の場であり憩いの場でもある施設として設けられました。
民芸村は7つの博物館と2つの施設の集まりですが、まず
1965年(昭和40年)に民芸館 ⇒富山市民芸館の見どころ
その後、
- 民芸合掌館 ⇒富山市民芸合掌館の見どころ
- 民俗資料館 ⇒富山市民俗資料館の見どころ
- 考古資料館 ⇒富山市考古資料館の見どころ
が順次オープンしました。
1979年(昭和54年)には、これらの資料館を一つのグループとして民俗民芸村と名付けられました。
さらに
- 陶芸館 ⇒富山市陶芸館の見どころ
- 茶室円山庵 ⇒茶室円山庵の見どころ
- 売薬資料館 ⇒富山市売薬資料館の見どころ
管理センターも設けられ、1989年(平成元年)には篁牛人記念美術館がオープンしました。
2001年(平成13年)、旧密田家の土蔵が売薬資料館別館となり、民俗民芸村に加わりました。
民俗民芸村は、自然との触れ合いをモットーにしています。
富山市の他の観光・お出かけスポット
歴史ある富山市には他にも様々な見どころがあります。
そちらにも是非足をお運び下さい!
富山市篁牛人記念美術館の見どころ!異色の日本画家・篁牛人を深く知る【富山県富山市】のまとめ
富山市篁牛人記念美術館は、富山市民俗民芸村内にある異色の日本画家である篁牛人専門の日本画美術館です。篁牛人の渋い味わいの渇筆画作品を鑑賞することができます。また、民俗民芸村の他の民芸合掌館、民俗資料館、考古資料館、陶芸館、茶室円山庵、売薬資料館も見学すると、多くを学ぶことができますので、ぜひみなさまでお越しくださいね!