鳥取県鳥取市の鳥取民芸美術館は登録博物館で、わが国日本、朝鮮半島、中国、ヨーロッパの民芸品をコレクションして展示しています。今回は、そんな民芸品の素晴らしさを肌で感じる事が出来る、鳥取民芸美術館を紹介させて頂きます。
鳥取民藝美術館の沿革とあらまし
民藝運動家の吉田璋也は、1949年(昭和24年)に「鳥取民藝館」を開館しました。この民藝館は、1950年に「鳥取民藝美術館」と名称を改められました。
民藝美術館には、土蔵作りの建物が幾つかあり、民芸コーナーになっています。民藝美術館のコレクションは、合計5,000点、うち
- 古民藝3,500点
- 新民藝1,500点
から構成されています。
特徴となるのは、朝鮮李朝の陶磁や、吉田璋也が制作した新作民藝のコレクションが含まれていることです。
たくみ工芸店
「たくみ工芸店」は民芸品の販売を行っており作品を購入することができます。
たくみ割烹店
「たくみ割烹店」は吉田璋也がアイディアを出した料理「すすぎ鍋」(しゃぶしゃぶ)というる料理を提供いたします。
おの料理は鳥取和牛を素材にしています。その他にも、民藝品の器に盛り付けた郷土の料理を食することができます。
童子地蔵堂
美術館併設の施設には、「童子地蔵堂」があります。この地蔵堂には154体の地蔵が収納されています。
地蔵は子どもの墓であり、元来は無縁の仏として市内の寺に放置されていました。
阿弥陀堂
鳥取民藝美術館の別館としては「阿弥陀堂」という建物があります。
鳥取市内の三津湖のほとり、二ツ山に位置します。一般の利用もできるようになりました。
創設者である民藝運動家、吉田璋也の生涯
吉田璋也(1898-1972年)は、民藝運動を推進した運動家で、本来の職業は医師でした。出身は鳥取県鳥取市です。
民藝運動の創始者は柳宗悦ですが、吉田は柳の運動に共感をして運動に参加しました。
柳宗悦は民藝の中に美を見い出し、その美を生活に取り入れるために新しい分野の民藝品を創造しました。
これは吉田璋也も携わった運動であり後の時代には新作民藝運動と呼ばれました。
吉田は自称で「民藝のプロデューサー」を名乗り、民藝の普及に貢献をしました。
吉田は運動をプロモーションするだけでなく、自分自身で意匠を生み出しています。
衣食住の日常生活に浸透した民藝の美を現代生活に蘇生させた社会派のデザイナーとして高く評価をされています。
以下に、吉田璋也の生涯を簡潔に振り返ってみましょう。
1898年(明治31年)に医師・吉田久治を父にして鳥取県鳥取市に生まれました。一郎となづけられます。
19歳の時に新潟医学専門学校に入学し、2年後、学内の文芸同人誌の編集委員となり、後の精神科医、式場隆三郎と親しくなりました。
翌1920年(大正9年)には白樺派の運動に参加して、「新しき村」の支部を新潟に設けました。同人雑誌『アダム』を企画して、表紙の装丁に岸田劉生を起用したりしました。
同じ年の初夏の頃に千葉県我孫子市で民藝の活動を既にしていた柳宗悦のもとを友人の式場隆三郎と一緒に訪れました。
3年後の1923年には、一郎との名前を「璋也」(しょうや)に改名をしました。翌年、用途帝国大学の研修医になり、この頃、陶芸家の河井寛次郎と知り合いました。
柳宗悦が取り持ったエンデっした。1929年(昭和4年)には、柳宗悦との交際が本格化し、河井寛次郎や志賀直哉等と交流を持ちました。
翌年には鳥取に帰省し、鳥取で耳鼻咽喉科の医院を開業したり、県内の窯元を訪問して民藝を新規に創作すべきことを説いたりもしました。
鳥取民藝會
吉田の主導により「鳥取民藝會」が設立されました。同時期には、さまざまな工芸分野で試作をを行い、自らが新作による民藝運動を鳥取に創始しました。
1932年(昭和7年)に、「鳥取民藝會」を改組して、「鳥取民藝振興會」として再スタートを切りました。
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たくみ工芸店とたくみ工芸東京支店
この年、鳥取市内に「たくみ工芸店」を開店しています。翌年には東京の西銀座に「たくみ工芸東京支店」を開店しました。
銀座たくみ
この店は現在の「銀座たくみ」に発展しています。1938年(昭和13年)に折からの日中戦争に自軍医として従軍して、中国北部に赴き、軍務の傍らで中国の工芸を研究しました。
2年後、自著『有輪担架』を出版し、新作民藝の理論家として知られるようになりました。中国現地で軍務を離れ、中国で工芸の指導に従事しています。
第二次大戦中は、北京で新作による民藝運動の拡大に努め、「華北生活工藝店」を開いたりもしましたが、日本の敗戦ですべてを失って鳥取に帰り、1949年には「鳥取民藝協団」を設けてました。
この年に「鳥取民藝協会」を再発足させて、「鳥取民藝館」を開設しました。民藝館は「鳥取民藝美術館」と改称されます。
戦後、吉田璋也は鳥取県の文化界に深く関与するようになり、「鳥取文化財協会」を設立し、鳥取城跡を史跡に、鳥取砂丘を天然記念物に指定申請を行いました「民芸のプロデューサー」と自称したのもこの頃です。
民藝美術館に併設のかたちで童子地蔵堂を建立して八角ブロック造に改築したり、鳥取民藝美術館を財団法人化したり、たくみ割烹店をオープンしたり、阿弥陀堂を建立したりと多面的な活動を繰り広げた後に、1972年(昭和47年)に没しました。
鳥取民藝美術館の基本情報
- アクセス:JR山陰本線鳥取駅から徒歩5分
鳥取民芸美術館の見どころ!庶民の芸術の宝庫!【鳥取県鳥取市】のまとめ
鳥取駅から駅チカ(徒歩5分)の鳥取民藝美術館をご紹介しました。庶民の芸術である「民藝」が多数展示されている生活芸術の宝庫です。たくみ工芸店では気に入った民芸品を買うことができますし、たくみ割烹店では民芸の什器に盛り付けられた地元・鳥取の郷土料理を味わうこともできます。鳥取にお出かけになったら是非にお立ち寄りください!