鰐淵寺(がくえんじ)は、島根県出雲市にある天台宗のお寺です。このお寺はなんといっても紅葉で有名ですが、他にも色々と伝説のあるところです。そんな鰐淵寺の魅力を、一緒に探って行きましょう!平安時代末期には修験道の霊地として広く知られており、室町時代までは栄えたといいますが、今はひっそりとした閑静な佇まいをしています。
鰐淵寺の名前の由来
変わった名前ですよね、鰐淵寺って。一体なぜ、こんな名前になったのでしょうか?
伝承によれば、このお寺はもともと推古2年(594年)に、信濃国の智春上人(ちしゅんしょうにん)が遊化して出雲市の旅伏山(たぶしさん)に着き、推古天皇の眼の病を治すために「浮浪の滝」に祈ったところ平癒されたので、その報賽(ほうさい)として建立された「勅願寺」という名前だったそうです。
ところがある日、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行をしている時に誤って滝壺に落としてしまった仏器を、鰐(わに)がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたことから“浮浪山鰐淵寺”と称するようになったということです。
鰐淵寺までの道のり
お寺の名前の由来が分かったところで、次は鰐淵寺までのルートをご紹介します。
車でしたら山陰道宍道ICより県道184号線経由車で約25分、公共交通機関でしたら一畑電車雲州平田駅より路線バス鰐淵線で約25分、鰐淵寺駐車場で下車してください。
しかし、駐車場から鰐淵寺の仁王門へと続く参道は徒歩で約15分かかります。
紅葉のシーズンには駐車場からマイクロバスで無料送迎してくれますが、一度に乗れる人数は少ないです。
おまけにほぼ上り坂ですので、かなりきつく感じられます。道幅も狭く、車がようやくすれ違えるくらいの道です。
ですが木々がうっそうと繁り、道の外れには小川が流れ川のせせらぎが聞こえてきて、とても自然に満ち溢れた風景にきっと癒されることでしょう。
個人的にはマイクロバスで行くよりも、木々のざわめきや小川のせせらぎ、そして鳥の声を聞きながら、のんびりゆっくり鰐淵寺まで歩くコースをオススメいたします。
さて、苦労して仁王門に辿り着いたかと思えば、今度はその先に本坊があり、そこから根本堂までは長い階段が続きます。
普段あまり歩かない方は足がパンパンになりそうな拷問コースですが、気合を入れて階段を昇ってください。
後述しますが、かの武蔵坊弁慶もお寺の釣鐘をかついでこの階段を昇ったという伝説がありますので、みなさんも是非頑張ってください(笑)。
そして昇りきると、思わず目を奪われる見事な紅葉が広がり、これまでの苦労を一気に吹き飛ばしてくれます。
特に境内に沢山植えられた、燃え上がる様な真紅に染まった「いろはもみじ」はひときわ美しく、とても鮮やかです。
しかしながら、紅葉のシーズンはとにかく人が多いので、あえてシーズン外を狙って鰐淵寺に来るというのもオススメです。
近辺随一といわれる見事な紅葉を誇る鰐淵寺ですが、紅葉の時期以外の多くの期間、境内は静寂に包まれひっそりとした時間が流れています。
普通の神社仏閣に感じられるような神聖な静寂とは異質の、ともすると囲まれた自然に飲み込まれてしまいそうな独特な静けさを漂わせ、ここが修験道の霊地であったことを偲ばせます。
紅葉の時には味わえない、静謐な佇まいを見せる鰐淵寺も、また魅力的ですよ。
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鰐淵寺に残る伝説
鰐淵寺は名の由来もさることながら、様々な伝説が残されています。最も有名なのは、武蔵坊弁慶の話です。
弁慶は仁平元年(1151年)松江市に生まれ、18歳から3年間、ここ鰐淵寺にて修行をしたということです。
その後京都の比叡山へと移り、源義経に出会ったと伝えられています。
壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした後再び出雲の地に戻り、鰐淵寺に身を寄せました。
この際に弁慶は大山寺(現在の鳥取県大山町の山中にあるお寺)の釣鐘を、この鰐淵寺まで約101kmある山道を一夜にして担いで持ち帰ったとされています。
その釣鐘は国の重要文化財に指定されています。その他にも弁慶の自画像、負い櫃など、多くの伝説・遺品をこの地に残しています。
また、弁慶の釣鐘の伝説にちなんで、「弁慶ウォーク」という行事もあります。
大山寺から夜を徹して101kmある山道を行き鰐淵寺まで歩くという、相当の苦業ですが、何故か県内外からの参加者が絶えないそうです。
「我こそは!」という体力に自信のある方は、一度参加をしてみてはいかがでしょうか?
浮浪の滝はパワースポット?
また、鰐淵寺の名前の由来にもなった「浮浪の滝」は修験者の守護神“蔵王権現”(ざおうごんげん。正式名称は金剛(こんごう)で、「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意味です。
仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括していると言われています)の聖地とされ、非常に霊験あらたかな滝です。
石段下から谷川沿いの小道を西へ8分ほど行ったところにあります。
足場が悪く滑りやすい道のりですので、行かれる際は十分に注意してください。
滝の裏は岩窟になっており、滝壺の奥には蔵王堂がはめ込まれるように建っています。
弁慶もこの滝に打たれて修行したと伝えられ、神秘的な雰囲気に包まれています。
八百屋お七と吉三郎のお墓
そしてもうひとつ。あまり知られていませんが、鰐淵寺には「八百屋お七と吉三郎」のお墓があります。
「八百屋お七と吉三郎」とは、井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっています。
お七は以前火事にあって一家がお寺に避難した折り、吉三郎と出会い恋をします。
やがて一家は再建された家に戻りますが、お七は吉三郎のことが忘れられません。
その思いがつのって、もう一度火事が起きたら会えるかも知れないと思い、放火をしたと伝えられています。この時、お七は16歳だったそうです。
火は瞬く間に燃え上がり、10万人もの死者を出した江戸の大火事「振袖火事」と名付けられ、お七は捕えられて死罪にされました。
吉三郎はこれを憐れみ、お七の遺骨を持ったまま供養の旅に出て、この鰐淵寺で生き倒れになり亡くなったそうです。
この二人のお墓は、寄り添うようにふたつ並んで、今はとても幸せそうです。
二人の恋は悲恋でしたが、天国で仲むつまじく暮らしていることを祈りたいですね。
とはいえ、お七と吉三郎のお墓は全国各地にあるので、ここが本当のお墓なのかは定かではないのですが……。
出雲市の観光・お出かけスポット
出雲市の他の見どころをまとめました。
四季が楽しめる鰐淵寺に行こう!【島根県出雲市】のまとめ
近年、地球温暖化の影響で、以前のように紅葉の色があまりはっきり出なくなりました。鰐淵寺も例外ではなく、一昔前は境内が燃えるような緋に染まってましたが、最近では紅葉が全部色づくことはまれで、まだ青い葉がかなり多くなっています。これは、紅葉のメカニズムに関係しており、葉が普段緑に見えるのは、光合成を行う「葉緑体」が含まれているからです。そして秋になり日照時間が減り気温が下がると、温度も光も不十分なため光合成の効率は下がることになり、省エネのため「葉緑体」が減って葉が赤く見えるそうです。しかし、近年の温暖化による気温上昇のせいで、秋の気温が高くなり、「葉緑体」が減らず、葉が青いままになってしまうのです。このままの状態では、気温はますます上昇し、もしかすると鰐淵寺の紅葉はもう見られなくなってしまうかもしれません。そうならないためにも、小さなことから一つずつ、エコ活動をしていきたいですね。しんみりした話になってしまいましたが、現在の鰐淵寺の紅葉もまだまだ美しいですよ。紅葉が見られるうちに、是非鰐淵寺においでくださいませ!!