長崎県長崎市にある大浦天主堂は、現存する日本で最古のカトリックの教会堂です。正式名称は日本二十六聖殉教者堂。その名の通り日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。まず、よく見る写真との差に驚きました。写真では真っ白な建物が印象的だったので。教会は、煉瓦造ですが漆喰で白く塗られているそうです。長い年月を生きてきたことを実感しました。
大浦天主堂の歩み
1863年1月22日に長崎に来た、パリの宣教師、フューレ神父が2月14日に南山手の外国人居留地に隣接した現在、大浦天主堂がある土地を入手しました。
8月初旬にやって来た宣教師のプティジャン神父の協力を得て、天主堂建立に着手しました。
1865年2月19日、大浦天主堂が完成しました。
異国風の建物の完成に、長崎の市民たちは目を見張ったそうです。
日仏修好通商条約に基づき、フランス人のための礼拝堂として利用されていました。
同年3月17日に、浦上の潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪ね、プティジャン神父に信仰者であることを密かに伝えました。
これが有名な信徒発見です。
1879年には信徒が増加したため協会が手狭になり、改築されることになります。
外壁を煉瓦造にしたり、奥行きを深くし、当初の2倍の大きさに拡張したりしました。
ゴシック建築様式の建物になりました。
1945年8月9日、長崎に落とされた原爆の影響で、屋根、正面大門扉、ステンドグラスその他の部分に甚大な被害を受けました。
1952年6月30日、国庫補助により5年の歳月を費やして、修復工事を完了しました。
1933年1月23日、文部省により国宝に指定されました。
さらに1953年3月31日、文化財保護委員会によって再指定されました。
信徒発見!レリーフが語るプティジャン神父の喜び
信徒発見のレリーフは、大浦天主堂の敷地内にあります。
階段を上がった左手のほうに小さな広場があり、レリーフの他にも教皇ヨハネ・パウロ2世の胸像や、プティジャン神父の全身像などもあります。
建立間もない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさで付近の住民たちが多く見物に訪れていました。
その見物人の中に浦上の農民たちもいました。
天主堂の右側小祭壇に安置されていた聖母子像は、浦上のキリシタンたちが300年も昔から、密かに崇敬し続けてきたものでした。
「フランス寺には、サンタ・マリアがいらっしゃる」という囁きは、瞬く間にキリシタンたちの間に広がりました。
そして、公開から1ヶ月後の1895年3月17日。
イザベリナ杉本百合という女性を中心とする数人の男女が大浦天主堂を訪れました。
彼女は祭壇前で祈っていたプティジャン神父に近づくと囁きました。
「ワタシノムネ、アナタノムネトオナジ」「サンタ・マリアノゾウハドコ?」
この言葉で、宗旨が同じであることを伝え、自分たちがカトリック教徒であることを告白したのです。
聖母像があることと、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であるとの確信を得、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきた所謂隠れキリシタンであるのだという事実を告げました。
プティジャン神父は、どこかでカトリック教徒がひっそりと信仰を伝え続けているのではないかという僅かな期待を持っていたので、彼女たちの告白は神父を大変喜ばせました。
プティジャン神父はその喜びをフランスとローマに報告しています。
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その後、浦上だけでなく、長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことを、プティジャン神父は知ることになります。
これは、神父が密かに浦上や五島に赴き、布教を兼ねて信者を発見することに努めたからです。
「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇・ピオ9世のもとにももたらされます。
感激した教皇はこれを「東洋の奇蹟」と呼んだといいます。
この日は現在、カトリック教会では任意の記念日(祝日)となっています。
キリシタン教会は復活を遂げました。
大禁教令から251年に渡る厳しい迫害と殉教の期間を潜伏し続けた信者たち。並大抵のことでなかったのは想像に難くありません。
他国にその例を見ない出来事として、世界宗教史の上で注目されています。
大浦天主堂内見学開始!注意点を守った正しい見学をしましょう!
現在、天主堂入口中央に置かれている日本之聖母像。
白亜の彼女はとても美しく、つい見惚れてしまいます。
この像は、日本に数多くの隠れキリシタンたちがいたというビッグニュースが全世界に伝えられた後にフランスから記念として贈られてきたものです。
改築を経て、入口中央に置かれるようになりました。
堂内の見学には守らなければならないルールがいくつかあります。
日本之聖母像下にこんな注意書きがしてあります。
通常は撮影禁止
今回は、大浦天主堂側から撮影許可を頂けたので、たくさん写真を撮らせていただきました。が、通常は撮影禁止です。
マナーを守った見学をお願いします。
日本之聖母像に挨拶をした後は、カメラをしまってください。
堂内には音声ガイダンスが流れていましたが、それ以外の音は何もなく、静かで穏やかな時間を楽しむことができました。
ステンドグラス
大浦天主堂といえば、ステンドグラスが有名ですね。
色とりどりのガラスで装飾されたステンドグラスは外から日を浴びてより一層美しさを際立たせていました。
やはり天気のいい日に訪れるのが一番のようですね。
大浦天主堂のステンドグラス3度もの修復を経て、今の形になっています。
製法上同じ物が作れないので、ところどころ違う色になっていたりして、それを観察するのも楽しいかもしれませんよ。
天主堂を代表する正面祭壇奥に掲げられた「十字架のキリスト像」も原爆の被害に遭い、現在のものは戦後の復旧工事の際に、パリのロジェ商会に発注したものだそう。
遠くからしか見ることはできませんが、その美しさには感動しました。
周辺の魅力的なスポットをご紹介!
大浦天主堂内にある信心道具の売店・オラショのお店。
オラショは、キリシタン用語で祈祷。祈りのことです。
メダイやロザリオなどが売っており、メダイは金メダルや記念コインのようなものでペンダントトップとしても使えます。
他にも聖書、手作り天使、ペーパークラフトなどのいろんな商品が置いてあります。
拝観料支払い受け付けの向かい側にあって見逃してしまう人も多いようですが、覗いてみる価値はあると思います。
現在、大浦天主堂でミサは行われていません。
何故かというと国宝である大浦天主堂に、観光客が多く訪れるようになってしまって、静かにお祈りを捧げることが難しくなってしまったからです。
1975年に信徒の祈りの場として新たに建てられたのが大浦教会です。
大浦天主堂から出て、左手に少し下ったところにカトリック大浦教会はあります。
毎日のミサは大浦教会で行われているため、観光のためといって、不用意に入ることはしないでほしい場所ではありますが、迫力のある外観は是非、見ていってほしいです。
信者さんたちは、真剣にお祈りをしていますので、前を通るときはお静かにお願いします。
大浦天主堂は最古のカトリック教会堂であり国宝!見どころ満載【長崎県長崎市】のまとめ
こんなに素晴らしい大浦天主堂ですが、2016年には世界遺産登録の推薦を取り下げられています。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の中でも、核として頑張っていた大浦天主堂に地元の住民たちも大変期待をしていたのですが、残念な結果となってしまいました。でも、大浦天主堂は諦めたわけではありません。現在は、2018年の世界遺産登録を目指しています。世界遺産登録されることを願って。ぜひ皆様も一度大浦天主堂に観光へ訪れてみてください!