長崎県長崎市の松森天満宮は学問の神様として知られています。そして年始や受験シーズンなど、学業成就や合格祈願で訪れる地元の人々に親しまれています。今回は25メートルもある立派なクスノキと職人尽の彫刻に圧倒される、松森天満宮を皆様にご紹介させていただきます。
松森天満宮へのアクセス
松森天満宮までの交通アクセスとして、バスで移動される場合は、県営バスの循環(5番系統)を利用することができます。
長崎駅前からだと、平日は東口バス停、土・日・祝日は南口バス停からたくさんの台数が出ているので、乗車していただき、諏訪神社前で降りると徒歩2分程のところにあります。
諏訪神社の参道の二番目の鳥居と三番目の鳥居の間を右に曲がると、松森天満宮が見えてきます。
その他に路面電車を利用する場合は、長崎駅前電停から蛍茶屋行きで、諏訪神社前電停で降りると、そこから徒歩3分程の所です。
周辺を散策しながらの観光や、直接、松森天満宮を訪れる方など、目的に合わせてみても良いと思います。
松森天満宮を含めた長崎三社のあらましについて
松森天満宮と諏訪神社、伊勢宮は、長崎三社と呼ばれていることから、元旦から1月上旬までの間、たくさんの参拝客が三社参りで訪れます。
松森天満宮を紹介するにあたって、この三社について語らないと理解できないところがあるので、ここでは、それぞれの神社の由緒にまつわる話をご紹介していきたいと思います。
・松森天満宮
寛永2年(1625)に、長崎県の今博多町という所に創建されていましたが、明暦2年(1656)に、元諏訪と呼ばれた現在地に移り、長崎奉行によって名付けられました。
松森天満宮の祭神は、菅原道真公・天穂日命・菅原是善命です。
・諏訪神社
キリシタンの襲撃で、祀られている諏訪・森崎・住吉の三社は破却されました。
寛永2年(1625)、初代宮司により、現在の松森天満宮の地に再興され、後に現在の社地である、玉園山に移りました。
そして諏訪神社では、日本三大祭に数えられる長崎くんちが行われる場所としても有名です。
境内には「迷子知らせ石」や、心の病を取り除いてくれる狛犬などが置かれています。
・伊勢宮
キリシタン襲撃により、天照皇大神を祀っていた祠が破壊されましたが、寛永6年(1629)に地元町民が願い出て、現在の伊勢宮の再興へとつながったということです。
長崎の繁栄・天下泰平・諸人安全祈願のために創祀されました。
拝殿内には「三十六歌仙額絵」があり、紀貫之や平清盛らの36人の歌と肖像絵が並んでいます。
この三社参りの根本的な由来は定かではありませんが、西日本では、正月になると参拝するという風習があるようです。

松森天満宮と周辺スポットの案内図
松森天満宮の小さな神殿と本殿に描かれた作品について
江戸時代から学問の神様として親しまれている松森天満宮は、長崎市内では一番古い木造建築で、境内隣には、この松森天満宮を象徴する胸高幹囲約8m、樹高25mの立派なクスノキが立っています。
この松森天満宮の名前の由来は、この地に生えていた同根の3株の松から森の字となることといわれていますが、実際に目にするのは、松の木ではなく、クスノキばかりなので、別名「楠木神社」とも呼ばれているそうです。
境内のまわりには、数々の神社や祠があり、その中でも、拝殿の右側には塞三柱神社があり、道路交通安全や疫病除けの神が祀られています。
また、菅原道真公がうし年であることから、願掛け牛が鎮座しており、ふれると、ご利益をいただける場所といわれていたり、松竹梅の石燈籠は、縁起が良いものに感じさせられます。
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そして、本殿を取り囲む瑞垣には、「職人尽(しょくにんづくし」が彫刻されていて、欄間にはめ込まれた30枚の板には、様々な職業風景が描写されています。
下絵は、長崎奉行の御用絵師の小原慶山によるものではないかといわれており、彩色は、天保3年(1832)、唐絵目利(からえめきき:輸出入の交易品や鳥獣類の写図の作成をする絵師)の石崎融思が施したといわれています。
造船や菓子製造,紙漉きなど、中世から近世にかけての様子を伺わせ、繊細かつ、表情の動きがその芸術性の巧みさが伝わり、驚かされるばかりです。
職人尽の彫刻を眺めていると、松森天満宮は学業成就だけではなく、職業人としてのご利益も授かれるような貴重な場所に思えてしまいます。

境内で存在感を放つ立派なクスノキ
「職人尽」は一枚ずつ、丁寧に彫刻されていて、とても素晴らしい作品です。
松森天満宮周辺の観光スポット
松森天満宮通りや、周辺にはこのような観光名所もあります。
・ラナルド・マクドナルド顕彰の碑
松森天満宮に向かう道の途中の左側には、船員であり、冒険家だったラナルド・マクドナルド顕彰の碑があります。
日本に憧れ、利尻島に上陸したマクドナルドでしたが、嘉永元年(1848)、密入国となり、長崎に護送され、崇福寺の末寺である大悲庵の座敷牢に収監されました。
アメリカに送還される約7か月間、オランダ通詞に英語を教えましたが、このことは、日本で初めてのアメリカ人による英語教育になりました。
・桃渓橋(ももたにばし)
松森天満宮から徒歩約10分の所にある桃渓橋は、長崎市指定有形文化財で延宝7年(1679)、僧卜意により、架橋された石造アーチです。
昭和57年(1982)に長崎大水害で一部崩壊しましたが、その後、復元されました。
名前の由来は、河畔に多くの桃の木があったことからといわれています。
側には、卜意地蔵と呼ばれる地蔵堂があります。
歴史を残す料亭
また、松森天満宮そばには、昔、坂本龍馬が立ち寄ったといわれる料亭があり、2017年6月から休業となりますが、歴史を残す唯一の場所となっています。
次に、松森天満宮から徒歩約3分の所にあるシーボルト通り商店街の中には、いくつかのグルメスポットがあり、その入り口付近の、ぶたまんをテイクアウトできるお店の他に、喫茶店やトルコライスをお食事できるレストランで休憩することができます。
周辺にはテレビでも紹介された有名な和菓子店があるので、甘い物を頂いて旅の疲れを癒すのも良いかもしれませんね。

松の森通りにあるラナルド・マクドナルド顕彰の碑
松森天満宮は見どころある唯一無二の神殿【長崎県長崎市】のまとめ
松森天満宮は、由緒ある神社でありながら、初めて訪れる方でも親しみを持てる場所です。境内には、いくつかの神社や祠が参拝する人々を見守っているような気がします。また、職人尽やクスノキの存在をとってみても、その歴史は謎めいたところがあります。そのことから人々の関心を集め、また訪れてみたいと思わせてくれるような場所となっています。