京都府綴喜郡井手町は南山城平野のほぼ中央、木津川の岸に面しており、東西方向に細長く、町の山林が67%を占め、宅地が6%ほどの小さな町です。古くから奈良へ続く道として現代まで歴史を連ねてきました。井手町の古代から現代までの観光おススメスポットをご紹介します。
井堤寺跡
東西南北とも約160メートルで、塔や金堂、七堂伽藍の整った大きな寺で、奈良時代の左大臣、橘諸兄が建立したと伝えられているお寺です。
平成16年から本格的な発掘調査がはじまり、彩色を施した「垂木先瓦」「軒丸瓦」「軒平瓦」、建物の礎石をおいた跡などが発見されています。
引き続き調査中のため、これからさまざまな遺構が発見されることでしょう。
龍王の滝
町の北はずれ、木津川の支流、南谷川上流にある、水を司る「龍神」が祀られている落差13メートルの滝です。
昔は、日照りが続くと、村人たちの手による「雨乞い」の神事が行われていたそうです。
江戸時代の『山城誌』にも紹介されているほど有名でした。
岩の間を縫って流れ落ちる白い糸の流れと水しぶき、そしてその周辺の緑色が涼しげで風流です。
弥勒石仏
花こう岩に線刻された三体の磨崖仏です。
長い年月で風化し見えにくいところもありますが、なかには左手に宝珠を持っている姿も見えます。
奈良時代、橘諸兄の館の建立に際して鬼門よけとして刻まれたのが始まりと言われていますが、鎌倉時代や室町時代、いちばん新しく彫られたものは、江戸時代の農民たちによって彫られた可能性が高いといわれています。
大峰山の標高300メートルにある山頂の展望台で、京都市南部から関西文化学術研究都市を一望できます。
「万灯呂」の名は、雨乞神事の際に、大峰山へ登るたくさんのたいまつの行列からとったものだそうです。
なお、この展望台では、毎年8月16日に大文字の送り火行事が行われています。
見渡す限りの夜景はとてもキレイで一見の価値ありです。
玉津岡神社
上井手地区にある、540年に下照比売命(しもてるひめのみこと)がこの地に降臨し、それを祀ったのが起源と言われている神社です。
以降、長年この地の氏神様として親しまれてきました。
また、境内には橘諸兄をまつった立花神社もあります。
なお、本殿は貞享4年の造営で、京都府登録文化財と指定され、その鎮守の森は文化財環境保全地区に指定されています。
また参道の石段の途中には、平安の女流歌人、六歌仙のひとりとされる「小野小町塚」もあります。
小野小町は、諸説ありますが、冷泉家記によると井出寺にて69年の生涯をとじたともいわれています。
地蔵禅院の桜
天然記念物にもなった桜
玉津岡神社参道の南の高台に建つ小さな曹洞宗のお寺、地蔵禅院。
この境内にある「しだれ桜」は、京都・円山公園の「しだれ桜」の兄弟木にあたり、京都府の天然記念物に指定されています。
桜は山門の中ですが、全体の大きな姿を眺めるには、山門の外にある畑から見上げるとステキです。
他にも、まだ若いしだれ桜や果樹の花々、周りの畑に植えてある菜の花と相まって見事な春の景色を感じさせています。
大正池
貯水量22万トンもある大きなダム池です。
緑の山々に囲まれ、静かな景色の中、いつも満量の水が貯えられ、人々の暮らしを支えています。
池の周辺は、春は新緑、夏はより深い緑、そして秋は紅葉などの四季折々の景色も素晴らしく、風情を楽しむ人々でにぎわいます。
また、平成18年4月には、「大正池グリーンパーク」がオープンし、宿泊施設も整い、バーベキューや星の観察などの自然体験、オートキャンプなどがさまざまなアウトドアが楽しめます。
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井出西福寺と多賀西福寺
井出西福寺は、神仏習合、荒神信仰の真言宗のお寺です。
こちらには、井手町内最古の現存する仏像、木造聖観音菩薩が安置されています。
高さ111.5センチメートルあり、浄土信仰が盛んだった藤原時代中期の様式が見られます。
一方、多賀西福寺は浄土宗のお寺で、次に古いと言われる木造十一面観音菩薩があります。
こちらは藤原時代後期に作られ、ふくよかな肉付きと衣や体の柔らかな均整のとれた曲線はまさに当時栄えた貴族文化を象徴しているものとされ、どちらも一木造りです。
橘諸兄旧趾
橘諸兄は、井手を拠点に活躍していた、奈良時代の政治家です。
684年に皇族出身の子として生まれ、葛城王と名乗っていましたが、のちに母方の姓の橘になりました。
740年に玉井頓官に45代聖武天皇をまねき、749年には正一位左大臣になったと伝えられており、また、万葉集の撰者としても知られ、父美努王とともにこの地を愛し、のちに井手町の花とされる「ヤマブキ」を植えたと言われています。
駒岩の彫刻
玉川沿いの「左馬ふれあい公園」にある重さ数百トンの巨岩です。
約1メートル四方のみごとな馬の浮彫りが施された花崗岩で、「左馬」とも呼ばれています。
玉津岡神社に残る古い記録によりますと、馬の後ろ足横に、「保延3年5月6日」の年号が刻まれていたが摩滅してしまったとあります。
もともとは、玉川水源に祀られていた雨吹龍王祠(水分神社)の傍らにありましたが、大水害により祠もろとも流出し玉川の谷底へ落ちてしまいました。
しかし、地元の方々の努力で土を掘り下げ、下から見上げる形で見ることができるようになりました。
本来は、雨を願い玉川の水を治めるための絵馬であったものが、左馬として「女芸上達の神」になり、信仰されるようになりました。
京都府井手町の見どころ観光スポット10選!京都と奈良を結ぶまち【京都府綴喜郡井手町】のまとめ
京都と奈良を結ぶ山間の小さな町、井手町。四季折々の自然はもちろん、しだれ桜とヤマブキと竹林が美しく、古の人々の旅を彩ったことでしょう。橘諸兄が活躍した名残ある歴史の町を散策してみるのもおすすめです。