熊本県熊本市の叢柱園は、釣耕園の下手にある別荘跡です。別荘の所有者は熊本藩の医学校再春館の師役であった村井家でした。伝説によれば、見朴の子どもにあたる椿寿(琴山)が庭園を造営したと言われています。この庭には、釣柱園の水が引き込まれて曲水をなしています。その下の方には中国の洞庭湖をあしらった池が設けられました。その昔には北側に簡素な茶室が建築され、茶室の西側の小窓を開けると荒尾山が目に入り借景の絵の如き風物でした。
第3代肥後熊本藩主の細川綱利は風雅な別荘を建てました
第3代肥後熊本藩主の細川綱利はさまざまな別荘を建てました。
叢柱園の近く、現在の熊本市西区内には釣耕園を立てて、これを「お茶屋」と呼びました。
肥後熊本藩の家老で漢詩をたしなむ米田波門が「お茶屋」の景観を詩に読みました。「雲を耕し月を釣る」と。
釣月耕雲から由来して釣耕園と呼ばれています。
現在は個人所有なのですが、庭園を見学することができます。
庭園内の池には飛石が配されて、山渓も取り入れています。
耕園の南側には崖があるのですが、そこにはシャクナゲが群生をしています。
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三賢堂
三賢堂という円形の建物が同様に熊本市の西区内にあります。
これは熊本県出身の政治家である安達謙蔵が命じて1936年(昭和11年)に建てさせました。
三賢堂内には肥後熊本県ゆかりの三人の賢人として、菊池武時、加藤清正、細川重賢の像が安置されています。
これらの像は彫刻家である田島亀彦、朝倉文夫、長谷秀夫によって制作されました。
その他に屋内には一対の螺旋階段が設置されています。
三賢堂と同じ敷地には源泉荘(安達謙蔵の旧居)と備於斉(安達謙蔵の書斎)が所在し、釣耕園とも庭園でつながっています。
三賢堂、源泉荘、備於斉の現在の管理者は熊本市で、熊本市民には申請許可で開放されています。
三賢堂の情報はこちら⇒三賢堂の見どころ!
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叢柱園の周辺の名所旧跡は他にも近くにあります
岳林寺
岳林寺の所在は熊本市島崎です。
岳林寺について詳しくはこちら⇒岳林寺は見どころが満載!
757-764年(すなわち天平宝字年間)の創建であるとされています。
以後、荒廃が進みました。
1581年(天正9年)に戦国領主である城親賢が再建しました。
曹洞宗の寺院です。
1897年(明治30年)の大晦日に、明治の文豪である夏目漱石がこの岳林寺から小天温泉(在、熊本市天水町)まで歩き通したという逸話が残されています。
寺院の境内には城親賢の墓があります。
現在まで続く「くまもと春の植木市」は城親賢の時代が起源であるとされています。
城親賢の墓前祭が執り行われるのは春の植木市が始まる直前の1月20日前後です。
叢柱園を訪れた文人の面影を偲びましょう
叢柱園には多くの文人が訪れたという言い伝えがありますが、著名な文人には頼山陽がいます。
頼山陽(1781-1832年)は大阪に生まれた江戸時代の後期を生きた歴史家、思想家、漢詩人、文人です。
幼名を久太郎と称し、名を嚢と称し、字は子成でした。
号を山陽、三十六峯外史としました。頼山陽の主著には『日本外史』があります。
この書は江戸時代幕末期の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えました。
日本史の書としてはベストセラーとなった書のひとつです。
ここでは、叢柱園の説明を少し離れて頼山陽と彼の主著『日本外史』について顧みてみましょう。
中国の古代史家である司馬遷は主著である『史記』を著しました。
『史記』は「十二本紀・十表・八書・三十世家・七十列伝」の全130巻から構成されています。
頼山陽は司馬遷を模倣しました。
『史記』はそのクライマックス「列伝」を誇りますが、『日本外史』にはこれに該当する記述はありません。
頼山陽の構想は「三紀・五書・九議・十三世家・三十三策」から成り、『日本外史』は十三世家が列伝のように展開されていて、『史記』の列伝であると評価することができるかもしれません。
『日本外史』は武士たちの興亡を綴った歴史記述です。
頼山陽は情熱的に文章を綴り、その文体は多くの読者を魅して、幅広く愛読されました。
頼山陽が記述にあたって典拠にしたものには軍記文学なども含まれています。
頼山陽が当時知り得た史実を忠実に追っているとは言い切ることはできません。
言葉を換えれば、頼山陽の『日本外史』は後世の史伝小説の始原と言うことができるかもしれません。
幕末期や明治維新期だけでなく、昭和の戦前期まで大きな影響を与えています。
その他には、頼山陽の文学には川中島の戦いを描いた漢詩の『題不識庵撃機山図』もあります。
この作品には
「鞭声粛粛夜河を過る」
という有名なくだりが含まれており、詩吟や剣舞ではよく耳にすることがあります。
この作品は頼山陽の死後に刊行された『山陽詩集』に収録されています。
『日本楽府』は古代から織田・豊臣政権期までの歴史的な事件を詠じた作品です。
中国の王朝・秦や漢は易姓革命による権力の奪取変遷が特徴であるのに対して、日本の王権は皇統が一貫しており、国体の精華となっていることを、頼山陽は説いています。
日の出ずる処、日の没する処。
両頭の天子、皆天署扶桑鶏号いて、
朝已に盈つるも長安洛陽、天未だ曙けず。
贏は顚れ劉は蹶きて日没を趁い、
東海の一輪、旧に依りて出ず。
アクセス
駐車場:駐車場あり
アクセス情報:熊本交通センターから岳林寺経由荒尾橋行き乗車、三賢堂前下車
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叢柱園の見どころ!魅力満載の歴史的庭園【熊本県熊本市西区】のまとめ
叢柱園とその周辺の三賢堂、岳林寺は、明治の文豪、夏目漱石や江戸期の文人、頼山陽などが交錯する歴史的な由緒ある場所です。今日では、多くの観光客がこれらの場所を訪れ往時の文化の華麗さに想いを馳せています。皆様も是非お越しください。