岐阜県不破郡関ヶ原町は関ヶ原の戦いの古戦場として有名で、岐阜県の西方に位置しており、古代には三関の1つ不破関があったそうです。歴史と人を繋げてくれる町として、関ヶ原町の観光スポットを紹介させて頂きたいと思います。
1.関ヶ原古戦場
関ヶ原古戦場は慶長5年(1600年)、徳川家康が率いる東軍と石田三成を総師とする西軍が激突した地として有名な場所です。また戦国時代の総決算とも言われているほどの聖地でもあるそうです。
歴史のファンの方や観光旅行者の方など、観光地化され、きれいに整備されている数多くの史跡を一目見ようと多くの方々がやってきます。
土地の事情上の問題もあり、観光パンフレットには記載されていない史跡やスポットが多くあるそうです。それほど関ヶ原古戦場の史跡を一日で巡るのは困難なのだそうです。
言葉や写真だけじゃわからないこと、味わえないことがたくさんあると思うので、歴史に少しでも興味のある方はここに行くことをおすすめしています。
2.関ヶ原鍾乳洞
次に紹介させていただく観光スポットは「関ヶ原鍾乳洞」です。鍾乳洞内の気温はおよそ15度で、夏は涼しく、冬は暖かいこの鍾乳洞は鍾乳石だけではなく湧き出す清水の場所にニジマスが泳いでいるそうです。
また
- 「ウミユリの化石」
- 「巨人の足」
- 「玉華殿」
と呼ばれる何万年もの間に自然が作り上げたものが見られるなど、自然や伝説がたくさん詰まっている穴場スポットとなっています。
名神高速の関ヶ原インターから車で約10分、JR東海道本線の関ヶ原駅からタクシーで10分のところに位置しており、入口から出口まで518m、所要時間は20分程度と、ちょっと立ち寄るには最適だと思います。
3.不破関
不破関は古代東山道の関所だそうで、672年に発生した壬申の乱の際、大海人皇子(後の天武天皇)の命により美濃国の多品治によって「不破の道」が閉鎖されたと言われています。
ここでよく誤解されるのが、壬申の乱で閉鎖されたのは「不破の道」であり、不破関ではないということです。
現在は関ヶ原町松尾が所在地であり、岐阜県および関ヶ原町の指定史跡に登録されています。
敷地内には、不破関資料館が設置されており、古くから和歌や俳句などに使用されているそうです。
東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関と一緒に畿内を防御するために特に重視されているようで、これを三関と言います。豆知識として覚えておくといいかもしれません。
4.石田三成陣跡
関ヶ原盆地の北西部に位置している笹尾山に石田三成の陣所跡があります。
現在は
- 石碑
- 馬防柵
- 展望台
が設置されており、観光地として多くの方が足を運ぶスポットとなっているそうです。
笹尾山の頂上からは関ヶ原合戦の舞台を一望でき、石田三成はこの地に立って両軍の布陣を見ていたと言われています。
ちなみに、両軍の兵はほぼ同じであり、地形的に周囲の山を利用した西軍の方が有利だったいう説があるそうです。
実際にこの地に立ってみると、その時代に石田三成が見た景色がなんとなく思い浮かび上がるかもしれません。
有名な歴史的人物である石田三成に一度でも触れておくと、何かパワーを感じられることもありそうです。
5.東首塚
徳川家康が首実験をした後、東西に分けて埋葬したことからできた2つの首塚のうちの1つである東首塚。
首塚とは、合戦などで打ち取られた者や捕虜にとられた者、また斬首刑にされた罪人の首のことを指し、それらの首を供養するためのものです。
東首塚はJR関ヶ原駅よりほど近い場所に位置しており、朱色の門の上にその名が書かれています。
国の指定史跡に指定されおり、後に名古屋市の護国院大日堂とその門が移築され、東西両軍の供養堂となっているそうです。
東首塚があるということは、もちろん西首塚も別の場所に存在しています。少し怖い観光スポットだと思いますが、歴史の勉強だと割り切って一度立ち寄ってみてはいかがでしょう。
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6.西首塚
関ヶ原の戦いで出た戦死者は6千人から8千人とも言われており、それらの供養のために建てられた2つの首塚。先ほど「東首塚」を紹介させていただきました。
次は「西首塚」の紹介をさせて頂きたいと思います。関ヶ原町の史跡にも指定されている西首塚は、国道21号線沿いに位置しています。
明治30年(1900年)に工事が行われ、建設現場で五輪塔などの墓石が発見されたという記録が残っているそうです。東首塚をご覧になった後は、西首塚を拝見されることをおすすめします。
7.島津義弘陣跡
関ヶ原の戦いと言えば島津軍と言われているほど有名な島津義弘氏。大河ドラマのシーンにもなった関ヶ原の戦い「島津義弘陣跡」は今でもとても大切にされています。
戦国の雄・島津軍団千人を率いた島津義弘氏は、北国街道を抑えるために小池村に陣を構えたとされています。
「敵中突破」の起点となった場所として名高く残り、ここから伊勢街道を南に向かった場所には島津豊久奮戦の碑があるそうです。
また、島津義弘氏は「鬼島津」とも呼ばれる異名を持っており、戦国屈指の猛将としても有名な人物だそうです。
しかし、真相は不明ですが、戦力的に非常に低く、一般的にほとんど戦いには参加しなかったと言われています。結果的に、島津家の領土を安堵するという異例的な処置がなされたようです。
岐阜県不破郡関ヶ原町の見どころ!関ヶ原の戦いの地!【岐阜県不破郡関ヶ原町】のまとめ
岐阜県関ヶ原町の観光スポットはどうだったでしょうか。まだまだたくさんの観光名所や穴場スポットが存在している関ヶ原町。関ヶ原の戦いの地という有名な場所となっていますので、ぜひとも多くの方がこの地に足を運んでほしいと思います。