福島県会津若松市にある鶴ヶ城公園は、福島県西部一帯を占める会津地方の中心都市の会津若松市にある鶴ヶ城を中心とした公園で、園内は無料の為自由に散策やジョギングなどを楽しむ地元の方が多くいます。鶴ヶ城周辺は明治7年に鶴ヶ城が取り壊され城跡として認知されていましたが、昭和40年に天守閣を昔のまま復元したのをきっかけに昭和58年8月16日供用開始され今の「鶴ヶ城公園」に指定されました。
◆先ずはアクセス方法をご紹介!
公園までのアクセスはJR会津若松駅より路線バスで約10分、「鶴ヶ城西口」下車です。
他にも市内周遊バス「ハイカラさん」と言うレトロ調バスもあり、それでも公園に向かうことができます。
マイカーでお越しの方には敷地内に3ヶ所の有料駐車場があり約270台余りの駐車スペースがあります。
◆公園のシンボル!鶴ヶ城について
鶴ヶ城は梯郭式の平山城で、1384年頃芦名直盛氏によって建てられた「黒川城」が始まりとされています。
以来「葦名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏等」が居住し増築や修繕が加えられ、1593年に蒲生氏によって蒲生家の舞鶴の家紋にちなんで鶴ヶ城と名付けられました。
公園の名前になっている鶴ヶ城は会津若松市のシンボルとなっていますが、鶴ヶ城の呼び名は通称で国の史跡の呼び名は「若松城跡」で地元の人からは「若松城」や「会津城」と呼ばれています。
平成18年には日本の100名城(12番)に選定されていてその登録名も「会津若松城」となっています。
城の中は会津の歴史を紹介した「お城ミュージアム」として好評で、戦うための武器の紹介や武家の装束の紹介や戊辰戦争の歴史などを主に紹介展示してあります。
会津若松城が有名になったのは戊辰戦争の激戦地だったことと、名前だけでも聞いたことがあるかと思いますが「白虎隊」の悲劇の舞台になったことです。
一番最近では大河ドラマ「八重の桜」で舞台となり有名になっていて、その他新撰組や白虎隊などに興味を持たれた方は一度行ってみてはいかがでしょう。
◆公園のこんな楽しみ方もあります
「鶴ヶ城公園」は全国さくら名所百選に選定されていて、東日本最大級の規模のライトアップで約1000本のソメイヨシノが日本唯一の赤瓦の天守閣とのコントラストと合わさって夜空に浮かびあがりとても綺麗です。
毎年桜の開花時期には「鶴ヶ城さくらまつり」が行われていて同時に「鶴ヶ城さくらまつり大茶会」も開催されています。
秋には毎年の開催されている「鶴ヶ城ハーフマラソン大会」が行われていて全国でも珍しいお城の中を駆け巡るマラソンです。
又、紅葉の時期にもライトアップされ鶴ヶ城公園内を色鮮やかな紅葉と闇の中に浮かび上がるお城のまた違った一面を味わうことができることでしょう。
スポンサーリンク
秋にも「鶴ヶ城大茶会」が行われ会津最大級の茶会となっています。鶴ヶ城ではお城では珍しく御朱印をもらえる珍しいお城です。
折角なのでお城に来た記念に貰ってはいかがでしょうか。
貰い方は鶴ヶ城内にある「鶴ヶ城稲荷神社」で貰え更に鶴ヶ城オリジナルの御朱印帳の販売もしていて表には御朱印帳の文字と家紋が描かれていてとても記念になります。
鶴ヶ城公園では幼稚園や小中学校などの団体の皆様に、遠足や写生大会等で使用するために芝地を開放しています。お問い合わせしてみてはいかがでしょうか。
その際には無料ガイドをして下さるボランティアの人に頼むのも一つの案ではないでしょうか?毎日3~4人のボランティアの人が待機していて鶴ヶ城や周辺のことを色々と教えてくれます。
◆歴史上の人物を訪ねて
荒城の月歌碑
鶴ヶ城公園内には様々な人の記念碑や建物があります。
城自体は先ほど記載した「八重の桜」の新島八重で有名になりましたが、公園の一角には「荒城の月」の歌碑が置かれています。
荒城の月と言えば滝廉太郎と思い浮かぶ人が多いかもしれませんが、東京音楽学校の求めに応じて詩を構想した土井晩翠が若松城(鶴ヶ城)と青葉城をモチーフに作詞されたことを記してここに歌碑が建てられたとのことです。
荒城の月の碑は全国で5ヶ所設置してあり、その1つがここにあります。
茶室麟閣
又、公園内には福島県指定重要文化財である「茶室麟閣(ちゃしつりんかく)」が保存されています。
茶道で有名な千利休の子・小庵が建築したとされる建物で、そのため鶴ヶ城公園では定期的にお茶会が開催されていると思われます。
天正19年に千利休が秀吉の怒りを受けて命を落としたあと茶の湯の世界から追放された小庵を蒲生氏郷が会津にかくまい、かくまわれていた間に氏郷に命じられ小庵が本丸の大書院側に数寄屋「麟閣」を作った。
その後、秀吉から「小庵召出状」が出されて無事に京都に帰り千家を再興したそうです。
後に孫の宗左、宗室、宗守3人によって表、裏、武者小路の3千家が開かれ茶道の基礎ができました。
千家流が今もあるのは会津の鶴ヶ城が貢献していたのではと感じます。
◆城跡の変わった歴史
黒川城から鶴ヶ城に名前を変えて色々な城主も色々代わり最後には戊辰戦争で新政府の攻撃に会い難攻不落と言われた鶴ヶ城は降伏して明治7年に石垣だけを残し壊されました。
昭和40年以前までは城跡が公園として開放されていて当時の会津市民のデートスポットでした。
時には第二次世界大戦の後、戦後の財政非常事態解決策の為、本丸内で競輪場が設置されていたこともありましたが昭和32年に城外に移転しました。
昭和40年に天守閣を含めた復元建設を行い、平成23年には赤瓦葺替修繕工事が完了し昔の本当の姿が戻ってきたと言う歴史があります。
こんなにも波乱に満ちた城もそう多くはないと思います。今では三ノ丸跡には陸上競技場や市営プール、福島県立博物館などがあり地域の憩いの場となっています。
会津若松市の観光・お出かけスポット
会津若松市の他の見どころをまとめました。
鶴ヶ城公園の見どころ!歴史の魅力がある人気スポット!【福島県会津若松市】のまとめ
今の日本の礎となった歴史の多い場所なので歴史好きの人やそうでない人にも、とても興味深く探索できる地域なので、一度は自分の肌で感じ取って見てくださいね。きっと、みなさまの観光心をくすぐる素敵な体験ができること間違いなしのスポットです!