愛媛県松山市にある明教館は、文政11(1828)年、松山藩主松平家11代当主松平定通公が、藩士の文武稽古所として二番町に建てた藩校の講堂です。ここでは、正岡子規、秋山好古・真之兄弟など多くの先人たちが学びました。昭和12(1937)年、旧松山中学校(現松山東高等学校)の敷地の一画に移築され、今日に至っています。今回は明治の偉人達を感じられる明教館をご紹介します。
松山市持田町にある明教館
明教館は、文政11年に松山藩主であった松平定通によって松山市二番町建設された藩校です。明治11年から松山中学校となり、昭和12年に松山東高校に移築されました。
これまでに、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公である秋山好古・真之兄弟を始め、俳句改革に取り組んだ正岡子規や映画監督の伊丹万作などが学び、夏目漱石も1年間英語の教師として教壇に立っています。
その松山中学を題材にした「坊っちゃん」は今でも国民的に人気の書籍です。
館内は60畳の広間で、同校出身者の肖像画が飾られており、ここで学んだ偉人たちを偲ばせています。
建物は愛媛県指定有形文化財(建造物)に指定されています。木造平家建、入母屋造、屋根は桟瓦の錣葺(しころぶき)。面積は225平方メートルに及びます。
内部は武道場と学問所とが接して設けられていましたが、屋根の形状のほか、火灯窓を採用するなど、教育の権威の演出にも苦心の跡が見られます。
こちらは入口の看板なのですが、実は松平定通が24歳の時に書いた看板で、なんと当時のものが現在も掛けられているのです。
合わせて見たい資料館
隣接された史料館には、明教館で学んだ偉人たちの資料が展示されており、松山の文学を学ぶ上で欠かすことのできない場所となっています。
明教館で学んだ偉人たちの資料を展示している史料館には、秋山真之と正岡子規の成績表や夏目漱石が当時の校長に宛てた欠勤届などが残されています。
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明教館に所縁の人
○正岡子規
正岡子規は松山市花園町(旧新玉町)の生まれで本名は常規(つねのり)です。明治13年に松山中学に入学、明治16年この明教館輩出。
明治25年東京大学国文科を中退し日本新聞社に入社し、俳句・短歌・文体の革新。秋山真之、夏目漱石らと親交を深め、俳句の改革運動に取り組みました。
多くの俳句・和歌のほかに、「俳諧大要」「歌よみに与ふる書」「病牀六尺」などの著があります。
○夏目漱石
夏目漱石は明治を代表する文豪で、明治28年に旧制松山中学に英語の教師として赴任。一年間松山で過ごし、正岡子規との親交を深めました。
名作「坊っちゃん」は松山での教員生活を題材にしています。「吾輩は猫である」など名著多数。
○秋山好古
秋山好古は松山中学を卒業後、陸軍大学校に進みました。
陸軍騎兵学校を参観に来たフランス軍人に「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」と賞されているとおり、日本騎兵の父と云われています。
○秋山真之
秋山真之は、有名な「天気晴朗なれど波高し」、この電文を送ったと言われています。
日露戦争では連合艦隊司令長官東郷平八郎の下で作戦担当参謀となり、第1艦隊旗艦「三笠」に乗艦しました。
ロシアのバルチック艦隊が回航すると迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に貢献、日露戦争における日本の政略上の勝利を決定付けました。
○伊丹万作
伊丹万作は映画監督、脚本家、俳優、知性派の監督です。長男は映画監督・俳優の伊丹十三で、伊丹十三も松山東高校に一時期在籍していました。
○水野広徳
水野広徳は「反戦を訴えた軍人」先の日露戦争の日本海海戦などの書物を分析。
第一次世界大戦後には、私費で欧米各国を視察するなどし、第二次世界大戦前に「戦争を避けるよう」進言した反骨の軍人です。後の司馬遼太郎にも影響を与えたといわれています。
その他、高浜虚子など多くの俳人も明教館、松山中学に通っています。
明教館の基本情報
- 所在地:愛媛県松山市持田町2-2-12(愛媛県立松山東高等学校)
- 電話番号:089-943-0187
- E-mail:kanko@city.matsuyama.ehime.jp
入場は無料ですが、学校の敷地内にあることから、授業や部活動など、学校活動に支障の無い範囲での見学となります。
見学を希望される場合は、事前に学校の承諾を得てください。原則として、土曜日・日曜日・祝日は、見学できません。
明教館は時を越える偉大な学び舎!【愛媛県松山市】のまとめ
松山東高校は県内最古の高校。そして県内有数の進学校です。校舎は近代化されていますが、古い佇まいを残す明教館。現代の中にタイムスリップのゾーンが・・・今でも明教館では生徒たちの、茶道部の活動の場などとして使われています。昔は男子生徒達の柔道の授業をおこなっていました。先人達の写真が後輩達を見守り、生徒達は先人の偉業を感じながら、畳の上で、明治の香りを味わいながら、未来を夢見ています。